日本2−3アメリカ

ジーコ自身がアンゴラ戦の時に言っていた「高い位置でプレッシャーをかけてボールを奪ってからの早い攻撃」の一つの姿をアメリカにしてやられた感じ。02WCの頃からアメリカのサッカーは注目していたけれど、この日は機能美さえ感じる素晴らしいものだった。


アメリカは、高い位置から素早い寄せでプレスをかけてボールを奪い、サイドに展開、サイドを意識させた後で中央を突破したりと目指す形がはっきりしていた。


派手なプレーはない。アメフトのように合理的で過度にシステマティクかもしれない。けれど、チームとして攻守にはっきりとした意図が感じられ、一つの形を持っているチームの強みがあり、日本が失ってしまった「組織的な守備」や「連動性」という言葉を思い出す。


とくにボール保持者の周囲の選手の忠実なサポートとフリーランというある意味基本ともいえる動きが出来ている。だから複数のパスコースができ、スペースが連続して生まれ、ボールが動き、トライアングルも美しく前へ前へと動いていく。パスを出してお終いという選手が多い日本とはこの点で実に対照的だった。


流れの中でボックス内にどんどん人が入ってくるアメリカと、FWにまかせて遠巻きに眺めている日本。日本は意識して入っていかないのかもしれないが、その前段階で決定的に違うものがある。


そんなアメリカを前にしてマークがずれてプレスがかからない日本は防戦一方。コースを消すのが精一杯で、ボールを奪うどころか簡単に突破を許してしまう。「ボールの奪いどころ」という以前からの課題は未だ解決できていないようだ。


3−6−1というのは流れの中で3−4−3にもなるのだから、一度大きく蹴って、前から3枚でプレスをかける選択肢もあってよいと感じたが、そもそもボールを奪うタイプの選手がピッチに入っていない。


それと2シャドーの位置にウィング的な役割ができる選手が欲しい。中央に寄りたがるパサー2人を並べてしまっては攻撃も機能しずらい面があるが、受身に回ったことで悪い面が目立っていたのかなと。まあこのゲームはシステム以前の問題が多すぎたけど・・・。


ただ中田英、中村がいても苦戦はまぬがれなかったと想像する。ボールを動かせないDFは決まったように中田英にボールを預け、そして中村を経由する。ウクライナのように2人にプレッシャーをかけ、自陣から遠い位置に下げてしまえばゴールを許す懸念も少ない。対処しやすい日本の単調な攻撃と、運良くあげたゴールを必死に守る姿が思い浮かぶ。


さしたる根拠はないが、おそらく個人の技術レベルは日本の方が上だったとは思う。しかし流れの中で「的確なポジショニング」をとることにより、アメリカのようなサッカーができるのだ。そして日本は、「ボールを動かすための最低限の運動量」にも達していないから、強いプレスを受けると途端に苦戦してしまう。


Jリーグ創設時に比べて、全体的な技術レベルは高くなっていることは間違いない。ただあの頃はオフトが代表監督だったこともあり、日本全体に「トライアングル」という意識が高く、どのチームもボールを動かすために選手は走っていたように感じる。


個の能力を前面に押し出すサッカーもいいけれど、世界的には日本はまだまだそんなレベルに達していないと思う。やはり「豊富な運動量とクイックネスを武器に前線からのプレスと速攻をベース」にチームとして戦うべきなのかなと。と同時に世界のトップリーグでプレーする選手が少ない日本の限界を感じたゲームだった。