日本2−2ボスニア・ヘルツェゴビナ

ほんの短い間だだったけれど落語に凝って、放送局が主催する落語会や安い寄席に通っていた。その頃にファンだった2代目桂枝雀さんの「笑いは“緊張と緩和”の繰り返しである」という言葉が忘れられない。オリンピックを見ていて感じたことは、上手なアナウンサーほどゲームそのものが演出する緊張と緩和をうまく操り、臨場感あふれる実況をしてくれること。ボスニア戦のアナウンサーも含め、そういう意識が薄く、自らの実況が主役になってしまっている人がいるのが残念だった。


さてサッカーにも90分の間に緊張と緩和がある。それはチームが採用する戦術に応じてコントロールする攻(動)と守(静)であったり、その結果として生まれてくるゲーム自体の流れであったりする。日本は前半から積極的に攻める姿勢を見せたのに対して、ボスニアは明らかに前半を流していた。


おそらく最初からとりあえず前半を0−0で終えて後半勝負のプランだったのだろう。日本が前半終了間際のよい時間帯にゴールしたにもかかわらずボスニア・ヘルツェゴビナのダメージは少なく、後半立ち上がりからペースを変えて攻勢に出てきた。そして日本の守備はやすやすと突破を許し、防戦一方に追い込まれてしまう。決定機の数はともかく前半は日本が支配していたかに感じていたが、実はまんまとボスニアの罠にはまっていたのではないかと思う。


先に書いたことはあくまで想像でしかないが、ヨーロッパの中堅国になるとそれくらいの芸当は出来るもので、内容的にもボスニアの方がいいサッカーをしていたと思う。ましてやWCで対戦する国はよりレベルが高く、しかも普段から手合わせしていない国。いくらスカウティングしても実際のゲーム中の試合運びまでコントロールできるかどうかは疑わしい。おそらく日本は海外でプレーする選手のテストとコンビネーションの確認が主目的だったのだろうが、そういった面でまだまだ初心だなと感じた次第。


ところで、日本はプレッシャーが強くなると途端にパスが回らなくなるのはいつものことだけど、他にこのゲームで気になったことを少しだけ。


まず4バックの不安定感。相手が3トップ気味なので中央は2対1で守れたこともあり直接高さ不足が露呈するシーンはほとんどなかったが、逆にサイドの1対1でやれらていた。案の定サントスはカードをもらい、中央のCBがしばしばサイドライン際までひっぱり出される。まあFW二人が積極的に守備をするタイプではないし、2列目の二人も守備に長けた選手でないのだけど、本番でもサイドの二人は高い確率でカードをもらいそうで不安要素。自分は4バックが好きだけど、ジーコがチョイスしている選手を考えれば3バックの方が優るのでは。ボスニアは3トップ気味だったので、このゲームでは机上の空論になってしまうけど。


でも本当はシステムの問題ではなく、とくに前の4人については攻守が切り替わった瞬間の対応の鈍さが気になった。中田英は前からスペースを埋めてプレスをかけようという意識が強いわけだけど、ボスニアの攻撃のペースが変わった後半、明らかに彼の動きは周囲から浮いていた。かつてのイタリアのようなサッカーは別として、攻守が切り替わる瞬間に守備バランスが崩れているのは仕方ない。問題になるのはボールを奪われた時点からの対応であって、このチームは本当に前からプレスをかけようとしているのだろうかという基本的な戦術部分で疑問を感じてしまう・・・。


先発FWは久保と高原だったが、二人の相性はどうだったのか。久保は未だトップフォームに戻っていないと思うが、FWが流れの中でシュートを打つシーンが少なすぎる気がしてならない。このゲームでは高原が衛星的に動き回る役回りだったように思うが、位置関係がぎこちない(この点に関しては巻の方が・・・)。守備のことも考えると、2トップにストライカータイプを2枚並べるのがよいのかどうか迷うところ。
奥寺さんは高原が久保のパートナーで問題ないようなことを言っていたが、多分にドイツでプレーする高原に感情移入しているのでは?この間インタビューもしていたし(笑)


中村は帳尻を合わせたけれど、2列目の二人はもっと目立てるはず。パスの供給元として中田英が中盤の底からゲームメイクする形が出来ているので、局面によってはもっとストレートにゴールへ向かう意識があってよいと思う。同じようにパスをつなぎながら攻撃していてもボスニアがシンプルにゴールに向かっていると感じるのに対して、日本はパサーが多いためかパスを回すことが目的になっているような停滞感さえ感じることも。そういう意味で松井を試して欲しかった。
それと現状の守備バランスではリスキーにすぎるかもしれないが、中盤の底の二人が追い越して中村が低い位置からゲームメイクするパターンが確立されてもよいのかなと。