オシムたんが日本代表監督に就任した。

オシムたんと反町さん


日本サッカーが目指すべき方向性を考えていく上で、これ以上の監督はいないと思う。きっとオシムたんは、これまでのようにいろいろなヒントを与えてくれるだろう。就任の経緯を考えると素直に喜べないものがあるが…。


オシムの言葉」に東京オリンピック来日時のエピソードが書かれているが、オシムたんが千葉に、そして日本に力を貸そうと決意させたのは何だったのか、そして誰だったのか。自らの力で監督を探して来れない協会は、そのことを決して忘れてはいけないし、絶対にジーコのような去りぎわにしてはいけない。

某巨大掲示板で見つけたレス。


723 名前:705[sage] 投稿日:2006/07/10(月) 18:10:55 id:uQvkk/qF0
*自分が一番ジェフへの愛を感じた話
「どうして3年も日本にいてくれたのか」という質問に答えて


御大
自分はオリンピックやW杯にも出たけど日本は特別だった
とても遠くて… 特別な状況にあった
ヨーロッパでクラブをやめて3ヶ月の間
よくわからない… 深く考えずに来た


自分は愛でもひとめぼれというのはないと思う


ここで仕事をするのが面白かった
やりやすかった
選手達は練習熱心でプレイするのが好き
それが自分にとって新しいことだった
特別なことは何もしていない


1年たって信じられないことがおきた
自分は何も特別なことはしていないのに、空港に迎えに来たり…


1年1年の積み重ねで来た 最初から3年という契約のやり方もあるが自分はしない
どうしてこうなったのか、わからない


木村さん
人生はどうなるかわからないものですね


御大
先がわからないから面白いんじゃないですか


話を聞きながらのメモ走り書きなので正確じゃないけど、そこは補ってみてください。
このあたりは一言ずつぽつぽつと話しては通訳していく感じで、胸に迫りました。
わからない、特別なことはしてない、1年、という言葉を何度も繰り返していたんです。


オシムたんの教え子のピクシーも、新生ユーゴの代表監督にプレーするリーグのレベルで詰られながら日本で現役生活を終えてくれた。彼もWCやユーロの応援に駆けつけた名古屋のサポに感謝しているが、そのピクシーの軌跡を綴った「誇り(木村元彦著)」に、次のような文章がある。きっとオシムたんは、チームのために献身的に戦うことで輝く選手を優先して選出してくれることだろう。

ストイコビッチは、(98仏WCの)プレーオフを戦っていくうちに、自分たちのチームから一切エゴが消えていることに気がついた。
かつてのユーゴスラビア代表チームには、誰が点を取ったか、良いパスを出したのか気にする風潮があった。ユーゴ代表には、ボールが三つ必要だという格言が欧州で蔓延した所以である。


【日本代表チーム 新監督就任記者会見】イビチャ・オシム監督のコメント(J's GOAL)


(´-`).。oO(某局の特番は論理のすり替えが多すぎる...)